『よくわかる障害学』の発刊に寄せて

 ミネルヴァ書房から小川喜道さんとの共編著として『よくわかる障害学』を発刊することができた。私にとって、『スポーツ障害から生き方を学ぶ』(2010 生活書院刊)、『リーディングス日本の社会福祉7巻 障害と福祉』(2011 日本図書センター刊)に続く3冊目の編著である。

 単著と編著のいずれの方が著者としての思い入れが深いかと言えば、私の場合は編著に対する愛着が強い。音楽にたとえると、単著は自作自演のソロリサイタルのようなもので、本の内容すべてを自分の思い通りに構想できる。しかし、編著は、いわば、オーケストラの指揮者のようなもので、演奏するのは各演者であり、多様な執筆者を選びながら、その個性を最大限に引き出せる構成を考えつつ、全体のバランスを調整したり、なにかと制約が多い中で最大限の効果を引き出すために色々と頭を悩ませる。そのこと自体が、「苦労」であり「楽しみ」でもある。そうした「調整」がツボにはまった時の喜びは、単著を書き上げて評価された時の喜びとは比べものにならないほど大きい。

 私のこれまでの編著2冊をふりかえると、『スポーツ障害・・・』はスポーツ関係者への聞き取りとゼミ学生の文章を編集したものだし、『リーディングス・・・』は、完成された既出の文章を選び編集したものであり、「指揮者」たる編者にとっては比較的「調整しやすい」編著だった。ところが今回の『よくわかる障害学』は、小川さんというもう一人の指揮者を迎え、二人で分担して編集するとともに、執筆者も37名、項目数は77に及ぶ大オーケストラである。編集の手間は、前2編著とは比べものにならなかったが、それだけに愛着もひとしおであり、発刊にことよせて、この本の作成経緯を記しておきたいし、この本の「生い立ち」を読者にもぜひ知ってもらいたいという思いがある。

 まず、この本を発刊できたいちばんの理由は、ミネルヴァ書房のWさんとの信頼関係だと思う。担当がWさんでなかったらたぶんここまで作業が続かなかっただろう。Wさんは、かれこれ10年くらい前に「障害学の理論書を書きませんか」と私に声をかけてくれた。それ以来、小さな研究会に何度か足を運んでくれている。非常に厳しい出版事情の昨今、Wさんのように長い目で「よい本」を作ろうとしてくれる編集者はめっきり少なくなったように思う。そのWさんから「よくわかるシリーズで障害学はどうですか?」という話をもらった時、これまで彼とは、かたちになる仕事がなかなかできなかったので、ぜひ期待に応えたいという気持ちが生じた。

  それと同時に、見開き2ページ2000字程度の文章をたくさん載せられるという「よくわかるシリーズ」の構成にも、面白い本が作れそうだという魅力を感じた。私にとって障害研究を始めたころにインパクトのあった本はたくさんあったし、そうしたものを少しでも若い人に読んでもらいたいという思いでこれまで本を作ってきた。そのなかで、まだ作れていない本が、たとえば『障害者の日常術』(障害者アートバンク編、晶文社、1991年刊)のような「当事者の語り」を集めた本である。障害のある人の著作は、以前と比べるとずいぶん手に入りやすくなっている。しかし、1冊の本を一人で書くとなると、当事者とはいえ、それなりに文章が書ける人だし、特定のテーマも設定されていて、「普通の当事者の普通の語り」が読める本は意外に少ない。しかし、学生たちに読んでほしいのは、障害のある人にとって、「当たり前の日常」がいかに「当たり前」でないかということがわかるような「何気ない日常」についての「普通の語り」である。しかし、そうした「普通の日常の語り」を、退屈しないで読んでもらえる書籍にするというのはなかなか悩ましい問題だった。見開き2ページ、本文2000字という「よくわかるシリーズ」の文字数は、障害のある人たちが、日々の何気ない生活を語るのにはもってこいの字数だと私には思えた。

 それでは、2000字で障害のある人たちに何について書いてもらおうかと考えた時、真っ先に思いついたのは「生活における工夫や用具」についてである。私自身が学生時代に印象深かった「当事者の語り」は、仕事や恋愛や性や家族などにまつわる障害のある人たちの率直な欲求と葛藤を表現したものだった。今から思えば、当事者の心の中の「葛藤」に「障害」を見出すと同時に、自分自身の「葛藤」に通じるものを感じていた。もちろん、そういう「語り」は現在の学生にとっても印象深いのかもしれない。しかし、私は学生を教えながら「なにかが違う」と感じている。いまの学生にとって、「心の葛藤」というレベルにおいては、「障害」というものがほとんど見過ごされてしまうような気がする。私たちの時代は「障害者でも恋に悩んだりするんだあ」というように感心したのだが、現在の学生にとっては、むしろそれは当たり前のように受け入れられているようにも思えるのだ。そのこと自体はよいことだと思うが、その時、彼らは「障害」というものをほとんど意識していないのではないかと私は疑うことがある。つまり、当事者の心の葛藤を素材として学生に考えさせたとき、みごとに「障害」が抜け落ちてしまうのではないかという不安があるのだ。

 一方、私は「理系のための障害学」という本が作りたいとも考えていた。そういう本はまだ日本にはないし、海外でもあまり見かけない。しかし、そもそも障害学にはバリア・フリーやユニバーサル・デザインなど、環境デザインに関する当事者視点の意見や主張が多く含まれている。さらに、支援工学などの分野では、ALS患者自身によるスイッチの工夫など、まさに自分自身のための「当事者技術」があり、それに関するエキスパート・ユーザーも少なくないことを、福祉器具アイデアコンテストなどの審査にかかわるなかで知った。障害のある人のなかにも相当数の「技術マニア」の人がいるのではないかと思った私は、支援技術や用具に一家言ある人に自分の意見を語ってもらえないだろうかと考えた。

 恋愛や性について語るのは、「普通の人」には難しい。そうした「語り」は、たとえば、小山内美智子さんや安積遊歩さんといった特別な「語り手」に多かれ少なかれ限定されてきたと思う。しかし、「私の車いす」や「私のカフ」や「私の補聴器」や「私の白杖」といったテーマであれば、2000字程度は語ることのある人がたくさんいそうな気がした。Wさんから「よくわかる」の企画を持ちかけられた私は、上記のようなアイデアを小川喜道さんにもちかけた。支援技術について語ってくれそうな当事者や家族を小川さんならたくさん知っていそうだと考えたからだ。

 小川喜道さんと私のおつきあいはそれほど古いものではない。ちょうど私がイギリスで博士論文を提出した翌年の1998年に明石書店から出版された『障害者のエンパワーメント−イギリスの障害者福祉』を見て、私がロンドン大学に通っていた90年代の同じ時期に小川さんもロンドンでCommunity- based rehabilitationのコースに留学していたことを知って親近感をもった。というのも、私が当時住んでいたロンドンの学生寮には小川さんが通っていたCBRコースの留学生が何人か住んでいて、そこで学んでいる人たちともよく会話することがあり、日本のいわゆる「医学モデル」的なリハビリとはずいぶん違ったことをやっているなと感じていたからだ。

 実際に、小川さんに初めてお目にかかったのは2004年に東洋大学で開催された日本社会福祉学会の時だったと思う。たしかこの学会の障害者福祉分科会で、当時、東京都立大学の大学院生だった山岸倫子さんが、「障害の社会モデルにおける『福祉』及び『福祉』批判の一検討――社会モデル論者の議論から」という自由報告を行なっており、この報告の質疑において、小川さんが的を射たコメントを「愛情」をもって発言されているのを見て、「いい人だな」と感じて私の方から自己紹介させていただいたと記憶している。(小川さんと私の出会いのきっかけとなった山岸さんの母校に私が現在所属している事も不思議な縁のように思える。)それ以来、折に触れて情報交換させていただいたり、お願いごとをさせていただき、ますます小川さんの誠実な人柄と、リハ専門職としては非常にユニークな「土着派」とでも形容したくなるような徹底した「現場経験主義」から構築された「専門性」に魅力を感じ、ぜひとも共同研究をしたいと考えるようになった。

 そして2010年から「障害者運動とソーシャルワークの協働と葛藤―国際比較による実証的研究」という科研費プロジェクトを開始した際には、まっさきに「顧問」格として小川さんに参加をお願いした。このプロジェクトでは、私と小川さんのほか、障害者福祉を専攻しつつも当事者運動に理解の深い小山聡子さん(日本女子大)、伊藤葉子さん(中京大)、廣野俊輔さん(当時同志社大院生・現大分大)と、当事者性に関心のある松岡克尚さん(関西学院大)、河口尚子さん(当時名古屋女子大・現立命館大客員研究員)、岩隈美穂子さん(京都大)に参加してもらったのだが、私にとっては、これらのメンバーが小川さんの長年の経験に基づく「引き出し」をどれだけ引き出してくれるかを見るのが最大の楽しみだった。

 この科研費プロジェクトと前後して本書の企画が持ち上がった。本書では、小川さんがこれまでお付き合いのあった当事者や家族や専門職の人たちに支援技術や支援機器開発に関する体験に基づく主張を執筆してもらい、上記の科研費プロジェクトメンバーとその周辺の研究者に障害学の概念や障害者福祉の制度や歴史についての項目を執筆してもらった。原稿の校正や編集に際しては、小川さんと杉野で担当する章を分担はしていたが、最終的には二人ですべての原稿に目を通し、互いにああだこうだと、ページレイアウトについてまで意見を言い合ったので、ミネルヴァ書房のWさんにはずいぶん苦労をかけたと思う。 このように長い経緯と、さまざまな人たちのつながりをたよりにして、本書を作り上げていくプロセスはとても楽しいものだったし、こうして上梓できるのは無上の喜びである。

2014年3月31日

首都大学東京 人文科学研究科 杉野昭博


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