「アメリカにおけるワークフェアの歴史」  報告者:小林勇人(立命館大学大学院先端総合学術研究科博士後期課程)

報告概要

  本報告は、第一に、ワークフェアの起源に遡って南部公民権運動の指導者であるチャールズ・エヴァーズの戦略を考察し、第二に、ニクソン大統領の福祉改革案(Family Assistance Plan: FAP)の審議過程と帰結を分析し、第三に、エヴァーズの構想とFAPを比較することで、アメリカにおけるワークフェアの歴史を論じた。
  1960年代のアメリカでは公民権運動を主要因として人種問題と結びつくかたちで貧困が「再発見」され、連邦政府は福祉制度(AFDC)で対応することになった。新しい公民権法の成立前後に公民権運動は分派し、一部は福祉権運動へ転換していったが、エヴァーズは議会政治へ転換するなかで1968年にワークフェアを考案したのだった。彼には、雇用の創出によって就労の機会を保障することで、白人による経済的報復に対抗しながら黒人の有権者登録・投票運動を展開するという戦略があった。
  他方1960年代後半からの「福祉爆発」により州・地方政府の福祉費用が急増するなかで、ワーキング・プアの家族において父親の遺棄によって母子が福祉を受給することや世帯主が働くことをやめて福祉を受給することなどが問題視されていた。ニクソンが提案したFAPは、ワーキング・プアをも含めて貧困層に現金扶助を行うものであったため保証所得とみなされ全米に大論争を引き起こした。4年に及ぶ審議と否決を経て、FAPは雇用可能な者に対する現金扶助のあり方についての議論を喚起し、雇用可能な福祉受給者に対する就労義務を強化することになった。その結果1970年代にワークフェアは、雇用可能な受給者は現金扶助を受け取るかわりに働くべきである(必要ならば仕事を作り出してでも仕事をするべきである)ということを意味するようになった。
  エヴァーズの構想が人種問題に取り組むものであったのに対して、FAPは貧困・失業問題を個人の就労努力によって解決しようとしていたのであり、両者は人種問題への対応の仕方で大きく異なる。しかし、両者は「就労を通した自立」を志向する点では共通しており、1960年代の民主党政権におけるリベラルな政策に連なるといえる。
  ワークフェアの歴史を振り返ることで引き出せる教訓として以下の二点が挙げられよう。第一に、アメリカの福祉制度の展開には人種問題が深く関与していたように、各国・各地域には固有の福祉制度の変遷過程があるのだから、「ワークフェア」を脱文脈化してあたかも普遍的に制度適合的な政策として移転することのないよう留意が必要である。第二に、「就労を通した自立」という構想は貧困・失業問題に対して有効な解決策たり得ず、所得保障の構想もリベラルな政策に連なる限りワークフェア的なアイディアや議論を喚起する傾向があり、構想が制度利用者にもたらす政策的帰結に敏感であることが求められる。