「社会政策としての教育政策−福祉国家再編のなかでの教育」  報告者:中澤 渉氏(兵庫教育大学) 

報告概要

  本報告は、一般的に政府が担うべき役割(政策)と考えられている「教育」が、同時に並べられて論じられることの多い社会保障・福祉政策と比較して、日本人の間で、どう受け止められているかについて、JGSS(日本版総合社会調査)のデータを用いて分析を行ったものである。最初に、報告者の専門分野である教育社会学が、これまで何を問うてきたのかについて簡単に説明し、その中で報告者が福祉国家論に着目した理由が述べられた。教育の機能には、福祉が果たす機能と共通する部分が多くあるものの、福祉が所得再分配(結果の平等)を大きく志向するのに対し、教育は機会の平等が問われ、その結果責任は個人が負わされやすいことを確認した。マクロ・データを確認すると、日本の社会保障政策は高齢者対策に大きく依存し、政府の歳出の変動は人口構成に左右されるものの、教育費は少子化のスピードと比較して必ずしも大きく減っているとはいえないこと、それは未だ進学率が上昇を続ける高等教育への費用が増加していることが原因とされることが明らかにされた。
  しかし日本では、教育費の私費負担の割合が国際的にも高く、年金や医療の社会保障費の負担が社会問題になっても、教育費の負担が大きいということはなかなか社会問題化しない。そこで、高齢者の生活保障・高齢者の医療介護・子どもの教育・保育育児の4領域について、政府の責任だと思うか、個人や家族の責任と思うかの質問に対する回答の分布を調べた。その結果、絶対数で高齢者対策は政府の責任だと思う人が多く、逆に教育や保育育児などは個人の責任だと考える人が多いことが明らかにされた。注目すべき点は、世帯収入中間層で、高齢者の生活保障は個人の責任という傾向が強いこと、子どもの教育は逆に政府の責任だという傾向が強いことで、特にこの層は教育費負担の重さを実感しているのではないか、と推測される。また過去の経済状態は、教育以外の政策で有意な影響を持ち、現在、生活水準上昇の機会があると考えている人ほど、保育以外の分野は政府の責任だと考える傾向があることがわかった。また人々の学歴に対する考え方から、学歴は結局個人の実力だと考える傾向が顕著であることがわかり、そのことが教育という問題を「個人の問題」と捉えさせ、社会問題として扱うことの難しさを促進しているのではないか、とまとめられた。
  以上の発表について、コメンテーターやフロアからは、(客観的にみると、どう考えても問題がある状態にいるのに)それを個人の問題や危機として認知していない人すら存在する、重要な課題であるが日本で扱えるデータが限定されている、JGSSの分析について、特にワーディングの影響が大きく、それが個人や家庭の責任と回答する数を多くしている原因ではないか、政策を課題に上げるとき特に重要なのは中間層の動向で、中間層の支持がどう動くかが政策決定の主要なファクターとなる、日本人はそもそも教育というものをどう捉えているのか(機能主義的?あるいは単なる学歴としての地位表示機能?)といったことをもう少し掘り下げて説明してほしい、などといった意見が繰り広げられた。