2.誰にも言えない悩み

 スポーツ障害が「できるはずのことができない」という本人の主観的な悩みであるとすれば、それは本人の心のなかの問題であって、自分のなかで解決しなければならない問題であり、社会にその苦労を訴えても意味がないと思う人も多いだろう。実は、スポーツ障害当事者の多くがそのように考えているので、自分の悩みを人には語れず、そのことが悩みを深くする原因にもなっている。しかし、「できるはず」という認識と「できない」という認識のギャップは、けっして本人のなかだけで生じているわけではない。とくに、「できるはず」もしくは「できなければならない」という認識は、指導者やチームや家族など、選手を取り巻く人間関係によっても大きく影響されている。以下では、そうした主観的な認識のギャップとしての「スポーツ障害」が、選手を取り巻く環境のなかでどのように作られ、選手本人に経験され、周囲がどのように反応しているのか、競技者や競技関係者の語りを手がかりとして見ていこう。

 「あってはならないもの」としてのケガ

 集団競技を真剣にやっている場合は、「ケガ」をしているという事実そのものを周囲には話せないし、したがって、自分でも簡単には「ケガ」という現実を受け入れられない状況がある。ケガをした選手は、まず、自分のケガが、チームや両親にも「迷惑」をかけるものとして認識することが多い。

このような状況に陥る背景には、「ケガ」の発生ということ自体がチームにとっても、本人にとっても、「あってはならないこと」という考え方があるからだろう。

(杉野昭博『スポーツ障害から生き方を学ぶ―ケガをめぐる競技者たちの語り』2010年 生活書院より抜粋)転載はしないでください