色んな人の精一杯

 この本で私が伝えようとしたことは、色々な人がさまざまな事情を背負いながら精一杯生きているのだという簡単な事実である。なんでいまさらそのようなことを書物にしなければいけないのかと思う人もいるかもしれないが、日頃大学生を教えているなかで、おそらくこの一点だけを教えることが、現代の日本の大学における「教養教育のすべて」であると私は確信している。

 大学における教養教育のこうした現状を嘆かわしいものだと思う人たちもいるだろう。「精一杯」生きることすらままならない現代の若者たちよりも、はるかにバイタリティのある中高年の社会人学生に期待する大学教員も少なくない。なにも迷わずに、すぐに自分の人生が「精一杯」という高速ギアに入るような時代に生きた人たちは幸せなのかもしれない。私もそうした「幸せな世代」の終わりの方にいるのだと思う。

 一方、「精一杯」な生き方は現代の若者にとっては、憧れであり、夢でもある。彼らの言い方で言えばそれは「濃い人生」なのだろうし、手ごたえのある人生だろう。ずいぶん前に『存在の耐えられない軽さ』というタイトルの映画があったが、私たちの生はもはや重力ゼロの世界を浮遊しているのかもしれない。そうした視点から見れば、重度の障害をもちながら生を全うするような人は、はるかに重力感のある「充実した存在感」をかもし出しているのかもしれない。

 この本に登場する人々は、そうした「濃い人生」を経験したり、模索している人たちであり、私は彼らと自分のゼミ学生たちとの出会いを演出しながら、「障害」という「重力世界」に学生たちをいざなおうとしている。その過程を本にすることによって、さまざまな人が、こうした重力世界に魅力を感じてもらえたらうれしいと思う。

(杉野昭博『スポーツ障害から生き方を学ぶ―ケガをめぐる競技者たちの語り』2010年 生活書院より抜粋)転載はしないでください