日本の障害学―国際比較の視点から

 英米に比して、日本の障害学は、まだ始まったばかりであり、その全貌を描くには時機尚早だろう。本書で私が示そうとしたのは、正確に言うと、「英米の障害学とは何か?」という問いへの答えであって、「日本の障害学とは何か?」という問いに答えるためには、日本における障害者運動や障害者政策の歴史的研究のほか、所得保障、家族、労働、アクセス、コミュニケーション、ジェンダーなどの各論における「ディスアビリティ(障壁)」に関する基礎的研究の蓄積を待たなければならないだろう。しかし、英米の障害学の理論的展開を踏まえた時、「日本の障害学」を取り巻く状況には、明らかに英米と異なる点があることに気づく。

 英米との比較という観点から日本の障害学を眺めた時、「障害者運動と障害学との距離」の違いがまず目につくだろう。イギリスでは、少なくとも1990年代までは、障害学と障害者運動はほぼ一体のものと考えてよい。アメリカでは、障害者運動と障害学との「分業」がイギリスよりは確立しているようにも見えるが、障害学の理論的展開が障害者運動の展開と軌を一つにしている点ではイギリスと同じである。一方、日本の障害学では、障害者運動との連携が個人的なレベルではなされていても、「学」としての理論体系が障害者運動の歴史的蓄積に深く根ざしているとまでは言えないだろう。2005年に開催された障害学会第2回大会では、「障害者運動と障害学の接点―自立支援法をめぐって」というシンポジウムが企画されているが、日本の障害学は障害者運動との理論的接点を模索しているという段階にある。このような現状は、とりもなおさず、日本では障害学が海外からの刺激によって誕生した側面が強く、障害者運動が障害学を直接産み出すことはなかったということを示唆している。このこと自体が問題だとは私は思わないが、英米と比較してその生い立ちが違うという事実は、日本の障害学の今後の展開を考える上では念頭に置かれるべきことがらの一つだし、なぜそのような違いが生じたのかという点も考える必要があると思う。

(杉野昭博『障害学―理論形成と射程』2007年 東京大学出版会より抜粋)転載はしないでください