「アメリカ障害学の父」

 1994年に、59歳で心臓発作によって亡くなったアーヴィング・ケネス・ゾラIrving Kenneth Zolaの名は、アメリカ障害学会Society for Disability Studies(SDS)の創設者の一人として知られている。また、「患者の権利」や「専門家支配批判」や「医療化批判」などの主張を通じて、アメリカ医療社会学会でもその名が確立されている。にもかかわらず、これまで日本ではあまり知られていない。その理由は、「健康主義と人の能力を奪う医療化」Healthism and disabling medicalizationという論文(Zola 1977)が1984年に翻訳されている以外、ゾラの業績を日本語で伝えるものがないからだろう。とくに「障害学」との関連となると、管見の限りでは西村高宏が「インペアメントの社会学」を考察した文脈でゾラの論文に触れているものしか見当たらない。(西村高宏2003)とはいうものの、唯一翻訳されている上記論文からでも、「健康な者」が中心の社会に対する批判的洞察と、「障害」の医療化に対する徹底した批判という、ゾラの障害学理論の核心は充分に伝わる。このように、WHOの保健政策とは、必ずしも相容れない様相を呈しているゾラの障害理論が、国際生活機能分類ICFが主張する「社会モデル」の根拠となっているというのは少々合点のいかない理屈である。

 このような矛盾がありながらも、国際障害分類改訂チームがゾラの「障害の普遍化」論をICFの認識モデルの根拠として主張できた理由を探すならば、それは、ゾラの著作が一見すると理論的に体系だっていないように見えるからであろう。つまり、オリバーなどの著作に比べると、ゾラの著作は読者の解釈に委ねられた部分が多い。たとえば、ゾラは多くの論文を書いているが、いわゆる代表的著作となると『忘れていた自分―障害とともに過ごした日々』Missing Pieces: A Chronicle of Living With a Disability(Zola 1982a)一冊だけであり 、その内容も、最後の二章では自己の理論的立場をかなり明確に示しているものの、大半はオランダの障害者施設で過ごした一週間の日々の記録を中心とした個人的な回想録である。このように、夥しい数にのぼる論文数に比して、自己の理論的立場を体系的に明確に宣言した著作がないというゾラの業績の特徴が、いわゆる「つまみ食い」的引用をしやすくしているのかもしれない。

 しかし、また、そうした彼の業績の特徴こそが、時代の変化や政治的状況の変化に応じながら、つねにアメリカの障害者運動の実践的文脈のなかで発言してきたことを物語っている。ゾラの著作の魅力は、客観的な視点から理論的体系化をめざすといった方向ではなく、「自分の問題」として「障害」を語り、「共生社会」(というよりもむしろ「誰もが病人の社会」)について考えようとしている姿勢にある。このようなゾラの業績の特徴をふまえた上で、読者に開かれたゾラのテクストを私なりに読み解いてみたい。

(杉野昭博『障害学―理論形成と射程』2007年 東京大学出版会より抜粋)転載はしないでください