障害学のインパクト

 障害学の登場は、既存の障害研究にどのような影響を与えたのだろうか?日本における『障害学への招待』の出版に際して、長瀬修は「(障害学は)従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない」と述べているが、従来の障害研究の中心を担ってきたリハビリテーション学との関係については触れていない。(長瀬1999:11)医学的リハビリテーションのみならず、障害者福祉や障害児教育なども含んだ広い意味でのリハビリテーション学と、障害学とはどのような関係にあるのだろうか。リハビリテーション学は、障害学の登場に対してどのように反応しているのだろうか。

 たとえば、障害学による「社会モデル」の主張は、これまでに「障害個性論」あるいは「ノーマライゼーション」などの主張を通じて、1980年代以降のリハビリテーション理論の中にすでに折り込み済みであるという見解がある 。たしかに、障害学が、「個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、『障害者すなわち障害者福祉の対象』という枠組みからの脱却を目指す」(長瀬1999:11)というのであれば、そこで「脱却」の対象とみなされている「枠組み」はいささか古いもののように聞こえる。そういう意味では、リハビリテーション学や障害者福祉学など「既存の障害研究」も、また、そうした「古い枠組み」からの脱却を目指してきたのも事実であり、その点においては障害学と対立するものではないようにも見える。世界保健組織World Health Organization(WHO)が2001年に制定した「国際生活機能分類」International Classification of Functioning, Disabilities and Health(ICF)は、リハビリテーション学における「障害」の定義の国際基準となるものだが、障害をとらえる枠組みとして「生物・心理・社会モデル」biopsychosocial modelを採用し、医学モデルと社会モデルという「対立するモデルの統合」を成し遂げたことが謳われている。(WHO2001:訳書18)こうした点に、近年のリハビリテーション学における「古い枠組みからの脱却」の努力を見てとることができる。このように、既存の障害研究の立場からは、障害学に対する表立った批判はあまり聞こえてこないし、むしろ、ICFのように「障害学も既存の障害研究に包摂できる」というスタンスが主流をなしているように見える。

(杉野昭博『障害学―理論形成と射程』2007年 東京大学出版会より抜粋)転載はしないでください