障害学は当事者のもの?

  私がはじめて長瀬修さんにお会いしたのは、たしか1997年の初夏だった。アジア経済研究所の森壮也さんが、私の書いた「障害の文化と共生の課題」という論文(杉野1997)を目にして、長瀬さんに薦めてくれたのがきっかけだったと記憶している。当時、私は大阪で、故定藤丈弘先生の「機会均等研究会」に参加しており、そこで知り合った倉本智明さんと横須賀俊司さんと三人でDCS研究会 という独自の勉強会のようなものを不定期に開いていた。その場に、長瀬さんが、わざわざ東京から訪ねてこられたのだった。長瀬さんは、英米のDisability Studiesを日本においても「障害学」として立ち上げたいと考えて、その第一弾として『障害学への招待』という本の出版を、静岡県立大学の石川准さんとともに企画していた。長瀬さんは、その企画への参加を私にすすめてくれたのである。しかし、この時、私は長瀬さんのお誘いには応えられなかった。

 いわゆる「健常者」としての自分が、Disability Studiesに参加することの意義と役割を、自分のなかで整理できなかったのである。1989年から92年の春までイギリスで過ごした私は、90年代前半のイギリス障害学の文献をよく読んでいた。そこから受ける印象では、Disability Studiesとは「当事者の学」というものだった。一方、アメリカでは、「当事者性」にあまりこだわらないかたちで「障害学」が展開されているようにも聞き及んではいた。しかし私は、「障害学の当事者性」という問題、つまり、障害学を担うのは誰かという問題そのものは、障害学の本質的な問題だと考えていたし、少なくとも、その「立ち上げ」においては障害当事者研究者が中心になるべきだろうと考えていた。

 このように書くと、気の短い読者は、「それでは健常者が障害学をやってはいけないのか?」と問うかもしれない。あるいは「健常者は障害学のなかで限定的な役割しか果たせないのか?」と問う人もいるかもしれない。そうした「問い」に、とりあえず「回答」するのは難しいことではない。なぜなら、それは「日本人しか日本文学研究をしてはいけないのか?」という質問と似ているからである。つまり、多くの外国人が日本文学や日本史の研究をしているように、健常者が障害学研究に参加すること自体が否定されるべきではないだろう。また、日本人であれば誰もが日本文学研究者になれるわけではないのと同様に、「障害者」であれば誰でも障害学ができるわけではないし、「当事者」のした研究がすべて必ずしも障害学になるわけでもないだろう。したがって、「障害の有無にかかわらず障害学はすべての人に開かれている」と、ひとまず回答できる。

 にもかかわらず、やはり「健常者が障害学をするのはなぜか?」という問題は残るし、問われるべきだと私は思う。「障害学はすべての人に開かれている」からといって、障害に関する研究をすべて「障害学」と呼べるわけではない。つまり、「障害学の主体」の条件としてではなく、「障害学とは何か?」という学問の定義問題として、「当事者の学」、さらに正確に言えば「当事者視点に立った障害の研究」という規定がはずせないのである。そして「当事者視点」というものを明確に意識し続けるためには、「健常者がなぜ障害学をするのか?」と繰り返し問いつづける必要がある。したがって、私が以下で述べたいのは、この問題に「答え」を用意することではなく、この問題がどのように論じられてきたのか、なぜ繰り返し論じられるのか、繰り返し論じることの意義がどこにあるのか、そうしたことである。

(杉野昭博『障害学―理論形成と射程』2007年 東京大学出版会より抜粋)転載はしないでください