障害学の誕生と危機

 1982年に故アーヴィング・ケネス・ゾラたちによってアメリカで創始されたDisability Studies(障害学)は、その後イギリスでもマイケル・オリバーを中心として大きく発展し、アメリカのDisability Studies Quarterly(DSQ)とイギリスのDisability and Societyという二つの学術雑誌を核として、国際的にも新たな学術領域として認知されつつある 。 こうしたなかで、日本でも1999年に石川准・長瀬修編『障害学への招待』(明石書店)が刊行された。それ以来、障害学関連書が何冊か発行されている。日本で障害学が好意的に受け容れられた理由は、おそらくその「新鮮さ」にあったと思う。障害当事者運動、「ろう文化」、障害者劇団、障害者プロレス、障害者のセクシュアリティなど、障害学が提示したものの多くが以前から存在していたものだし、メディアによってもすでに紹介され、議論の対象にもなっていたが、そうした素材を「学問」という切り口で扱ったものはこれまでにはなかった。社会の福祉や善意に対して感謝するといった従来の「障害者」イメージとは異なり、独自の「文化」を主張して健常者中心の社会に異議をとなえる「抵抗する障害者」のイメージは新鮮だったし、そのイメージに対する支持は「障害学」にも「抵抗する学」というイメージを与えることになったのだろう。こうして、学界の一部において暖かく迎えられた障害学は、その後、同学の者の輪を広げ、2003年10月には「障害学会」が設立された。翌年6月には第1回研究大会が静岡県立大学にて開催され、12本の自由研究報告がおこなわれた。また、2005年には障害学会の学会誌『障害学研究』第1号が刊行され、7本の自由研究論文と4本のエッセイが掲載された。

 しかし、日本における障害学の「順調な船出」の背景には、「抵抗する学」全体の近年における低調傾向があったのではないだろうか。いわば、先発投手全員がケガや不調の野球チームに、ちょっと投げれる新人が登場したというのが、日本における「障害学の誕生」の実像なのではないだろうか。日本の障害学の将来を考えたとき、これが本当に先発投手として自立できるのか不安を覚える。生まれたばかりの障害学が早くも危機に直面しているというのは、我ながら悲観的すぎるようにも思う。しかし、そもそも誕生したばかりの新生児というものは脆弱な存在である。障害学がその基盤を確立するためには、今後多くの難題を克服していかなければならないし、それを担おうという人がどれだけ出てくるのか気がかりである。少なくとも日本において、障害学は非常に脆弱な基盤の上にかろうじて存立しているというのが私の正直な印象である。今後、障害学が大きく発展することを願っているが、5年後には消滅しているかもしれないという不安も感じている。あるいは、リハビリテーション学に吸収されているかもしれない。障害学の将来について、私にはまったく見当がつかない。

(杉野昭博『障害学―理論形成と射程』2007年 東京大学出版会より抜粋)転載はしないでください